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聖なる人

聖なる人は、偽聖者のように、周りに自分を聖なる人だと言わせたりしない。

聖なる人は、自らを聖なる人とは思っていない。

聖なる人にとって、聖なることなど、まったく関心外である。

聖なる人に聖者の称号を与えても、その人はとまどうだけだろう。


聖なる人は、神を語らない。

しかし神について考えることを拒みはしない。

そして最期に「わからない。ことばにできない」と言うだけだろう。


聖なる人はただそこにいる。

そこに聖なる輝きを、静かで穏やかな光を示す。


他人を否定せず、自らを否定せず、ただ生命としてその人はたたずむ。

それが聖なることなのだ。

*****

聖なる人とはどのような人なのか考えているうちに、モーツァルトのピアノ曲集を思い出しました。

私は古典派の鍵盤作品は、近代ピアノではなく、フォルテ・ピアノで演奏される方が好きなので、このCDMozart: The Complete Piano Sonatas / Ronald Brautigamを愛聴しています。今日もこのCDで豊かな時間を過ごすことができました。

私にとって、Ronald Brautigamのフォルテ・ピアノ演奏はとても大切なものです。

古典派の表現には素朴さが必要だと思いますが、彼のフォルテ・ピアノ演奏にはそれがあるように思えます。

私もこの演奏で表現されているような人間になりたい。

なれないにせよ憧れたい。

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コメント

コンチェルトの方のフォルテピアノ盤は知りませんでした。
いずれ聞いてみたいと思います。

モーツァルトの独奏曲のほうのフォルテピアノ盤は、

BRILLIANT 93025

で、Bart van Oortの演奏で出ています。(14枚。)
愛聴している全集のひとつです。

この楽器の演奏者は、
「本当に音楽が好きでたまらない」
素朴な人間性が感じられて、好きです。

素朴であることは清らかなこと、ということなのでしょうか?

自分自身は決して素朴じゃないな、と、つい、反省してしまいます。

投稿: ken | 2009/01/12 21:50

素朴で純朴で清らかだと、おそらくその自覚もないのでしょうね(想像ですが)。

私も素朴とは対極のところにおります。


汚れちまった悲しみに

今日も仕事の降りかかる(爆)

投稿: イワン | 2009/01/13 08:33

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