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ヒリヤード・アンサンブル / オフィチウム

近代的な人間の音楽表現ともいえるベートーベンの音楽の喜びと苦悩をCDで聞いていたら、ちょっと疲れちゃった。

そこでかけたラジオからは、中世の音楽(に少しだけ現代的なアレンジを加えた)ものが聞こえてきた。

ラジオっていいね。DJの選曲が、私の偏向の暴走を是正してくれる。

近代的価値観を踏襲する現代に、中世音楽を聴くというのもいいものですよね。

近代で、人間は「できる」ということを学んだ。

政治的には近代革命を成功させ、「非人間的な扱いを許すな!」と少なくとも憤ることはできるようになった。近代以前なら、おそらくそういった憤りは一部の階級(あるいは民族・性など)にだけ許されたものであり、その他の人々がそんなことを主張しても「何言ってるのさ」と一蹴されていたのではないか。しかし近代人は政治的な力を得た(それをうまく使っているかは別にせよ)。

科学技術では、もう飛躍的に人間は「できる」ようになった。せいぜい馬車ぐらいで、自動車すらなかった時代から、私たちは月ロケットまで飛ばせる時代になった。月ロケットまでゆかなくとも、飛行機に乗ることはもはや珍しいことではないところにまで人間は力を増大させた。科学技術の進歩は今なお加速しているようで、私たちは科学技術的な合理主義によって「できる」という感覚を得た。


しかし、人間は、根源的なところで実は結構無力である。

生命、所縁、運命----これらを近代社会はコントロールし、人間は力を得ているのか。


いや存外に人間は無力ではないのか。そうしてこれらすら自由に操れるはずと思い込み、その思い込みによりかえって不幸になっているのではないか。

こういった考え方は前近代的な反動的思考なのだろうか。


しかし近現代よりも、人間が自らの無力を自覚していた時代の感性表現である中世の音楽を聞くことには、それなりの意味があるのではないか。

というより、そんな理屈以前に私はラジオから流れたこの曲にとりこになっちゃった。

ヒリヤード・アンサンブル(The Hilliard Ensemble)による

「わたしを見逃して下さい、主よ」        

モラレス原曲                      
(6分42秒)            
(サクソフォーン)ヤン・ガルバレク             
(演奏)ヒリヤード・アンサンブル
<ユニバーサル UCCE-9501>


です。

YouTubeでも見ることができます。

この
オフィチウム
というCDは私の愛聴盤なのだけれど、長年聴いていなかった。ひさしぶりに聴いたらとてもよかった。


やっぱ音楽はいいね。

ほんと、音楽がなかったら私はどうなっているんだろう。

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コメント

初めて聴きました。
スペインのこの時期の音楽には、もうイスラムの影はないのだな・・・という印象です。
これは、純粋な「カトリック」の美ですね。
しかも、同時期のヨーロッパ世界他地域には全く見られない、とても静的な音楽であることが、いかにもスペインらしい。

異なった文化から脱したイベリア半島のキリスト教徒たちには、力でイスラムを排除した、という思いはなかったのかもしれませんね。実際に、レコンキスタの幕引きであるグラナダの陥落は、思いがけないほど平和的なものだったようですから。

スペインの人々は、そこにどうしても「人間の力ではなし得なかったはずのこと」に対する畏敬の念を見出し、ひれ伏さざるをえなかったのでしょうね。

投稿: ken | 2009/01/05 00:15

なるほど、歴史を知ると、それだけ音楽も深く味わえますね。

スペインの音楽には時々、はっとするものがあります。有名どころの曲はあまり好きではないのですが・・・

投稿: | 2009/01/06 20:18

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