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気配を察する

昨年末からできるだけテレビを見ないで音楽を聞くようにしているのですが、それでも時々、疲れてどうしようもない時は自動録画したビデオを見ます。昨晩はそうして『たかじんのそこまで言って委員会』を見ましたら精神科医の小田晋さんが出ていました。彼については、私はこれまでその発言を警戒していたのですが、ひさしぶりに見た彼は、年老いてしまい、半ば呆けかかって壊れており、そこが言いようのないおかしみを出して、私は何度か声を出して笑ってしまいました。

圧巻は田嶋陽子さん(女性論)による小田晋さんの「カウンセリング」でした。カウンセリングの重要性を常に説く田嶋さんが精神科医である小田さんを逆にカウンセリングするというものでした。

その「カウンセリング」では、田嶋さんが日頃の態度とはうって変わって、「聞き手」になります。「うんうん」とうなづき、「あー、そうなの」と声をかけます。時には「前向き」な助言さえします。一見すると、田嶋さんがよいカウンセラーに見えないこともないのですが、小田さんは最後近くになって、田嶋さんの態度は、落ち込んでいる患者をいっそう追い込むものであることを指摘します。言葉少なく、先ほども言いましたように年老い呆けて壊れかけていた小田さんでしたが、その対話の様子を見たたかじんは、「これで小田さんが名医やということがようわかった」と言っていました。小田さんのかもしだす、言葉少ない間が非常によかったというわけです。私もこれには同感でした。

私は大学時代の一時期にユング心理学に傾倒し、一時期は転学科さえも考えていたこともあって、カウンセリングを重要なことだと考え、学生さんとの面談を重視しています。その際に自分で徹底しているつもりなのは、こちらから話題を振ったり誘ったりしても、学生さんが少しでもしゃべろうとしたら、決してそれをさえぎらず、そのうごめきが言葉になるのを待つということです。ですから私の第一の仕事は学生さんの気配を察することだと思っています。

もちろん気配を察することができず、私が誘いの話題を続けたりすることもあります。その時は私の心が頑なだったり身体が疲れていたりして学生さんの気配を察することができないか、学生さんが何らかの理由で頑なになり、自らの気配を抑圧しているかなのでしょう。そんな時は、いたずらに私がしゃべってしまい、学生さんもそれに無難な応答をするだけで時間が終わってしまいます。しかし、私が気配を感じ、学生さんも私が学生さんの気配を共感的に察知していることがわかった場合、話は短時間でも非常に深い話になることもあります。学生さんが他の人にはなかなか話せないようなことを語り始めますし、私も他の人にはなかなか打ち明けない微妙なことを語ったりします(本職のカウンセラーなら自らのことは語らないでしょうが、私はカウンセラーではなく教師ですし、経験から、自己開示による類似経験の共有が有効であることを学んでいるつもりです。まあでも生兵法ですから注意をせねば)。

こうして自らの言葉を控えめにして、相手の気配を察知することを重視することは、私は日常生活でもやったりしています。少なくともできるだけ相手の言葉はさえぎりませんし、さえぎらなくてはいけないときは軽く謝ります。とはいえ、ひょっとしたら私は自分が思う以上に人の言葉をさえぎっているのかもしれませんが、私が自覚的に人の言葉をさえぎるときは、私が怒っている時か冗談を言い始めているときぐらいだと自分では思っています。(今思ったのですが、そうして人と会っている時にはできるだけ聞こうとしているからこそ、私は独りでいるときにはこのように雑文を書きたがるのでしょう)。


「全身を耳にして」というわけではありませんが、気配を知ろうとするとき、私たちは全身をセンサーにして使っているようにも思います。肩の力を抜いて、耳はわずかなニュアンスを聴き取ろうとし、目はちょっとした表情の変化も察知しようとします。姿勢は相手の姿勢との関係などで微妙に変わったりします。ひょっとしたら肌も「空気」の変動を感じ取ろうとしているのかもしれません。

もちろんこのように全身を澄み切らせて気配を察することは私もめったにできないのですが、それでも気配というものは大切にしようとしています。

この気配を大切にすることは音楽からも学んだような気がします。

しばしばよい演奏とそうでない演奏を分けるのは、気配、あるいはニュアンスだけしかないように思えます。私たちはわずかな差異を聞き分け、音楽に感動したり、どこか共感できずにおいてゆかれたりします。よい演奏を聞くとき、私たちは全身で聴きませんでしょうか。そしておそらく演奏者も、全身で聞き手を感じながら、全身で音楽を微妙に奏でませんでしょうか。

自分の思い通りのものを聞こうという欲望を捨て、音のうごめき、微細な響き、間の静寂をただ受け入れて感じること。演奏家の気配を感じ、演奏家が音で表現していることを通じて、演奏家が音で表現できないことを理解すること----これが、私が優れた音楽を聞くことによって学んだ文化の一つであるように思っています。

言葉の会話でも、優れた音楽を聞くように、全身で気配を感じてゆけば、お互いに深く充実した話ができるのではないでしょうか。

その点、田嶋陽子さんの聞き方は、一見、カウンセラーのように見えて、実は、相手の気配を圧し、自らが信じる「正しいこと」を押し付けてしまうものだったのかもしれません。

と、偉そうに論ずる私ですが、私も実際は田嶋陽子さんのような聞き方しかできてないのかもしれません。

怖い。これは怖い。

もっといい音楽に耳を傾け、身体を委ねたいと思います。

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コメント

イワンさん、こんにちは。
kenさん、奥様の事とても残念に思います。でも、kenさんファミリーをよく存知あげない私にでも、kenさんの奥様への絶え間ない愛情、子どもさんへの包み込む愛情が伝わります。こんな風に愛された奥様がkenさんのそばを離れるわけがない。ずっとそばで見守っているような気がします。心よりご冥福をお祈りいたします。

早くから読ませて頂いていたのですが、(毎日訪れては書き、そして消して、の連続・・・)驚きと悲しみが大きすぎて、どうにも言葉にできませんでした。やっと自分なりの言葉がまとまってきたので書かせていただいた次第です。お悔やみの言葉が遅くなりごめんなさい。寒さも一段と厳しくなってきました。風邪などにご注意ください。

投稿: miho | 2007/01/09 23:20

mihoさん、
イワンさんのお庭でこんなかたちでいいのかどうか・・・お恥ずかしいのですけれど、とても嬉しいお言葉ありがとうございます。心から御礼申し上げます。

イワンさん、今回の話、とっても興味深いです。
ボクは今日まで義母のカウンセラーでもいなくちゃならない。お墓の件でいろいろ迷ってはいるんですが、やはり義母の気持ちを尊重したい。
とはいっても、遺骨であっても妻に遠ざかられるのは・・・なによりも子供たちの母親としての妻がボクの身近にいないのは、たまらないなあ。うまいカウンセリングをしないと、骨はみんな持っていかれてしまうしなあ(法的なことは別として、ですけれど。)

投稿: ken | 2007/01/10 17:43

イワン様、
半年くらい前から、いろいろなカテゴリーを拝見させていただくようになりました。
"that you are"(映画 who you are-きっとわすれない、の中です)の意味を教えていただいたお礼をずっと言いたかったのですが、思案しているうちに『裏庭』がなくなってしまい時間が経ってしまいました。
私は認知症の夫の母を介護しています。認知症の患者の介護はまさに、おかしかったり、哀しかったり、腹立たしかったり・・・いろいろです。
一番辛いのは、自分自身が疲れていたり、時間に追われていたりして心の余裕がなくなり、まさに『察する』力が落ちている時、自分中心に物事を運ぼうとイライラした態度で義母に接してしまうときです。そんな時の義母はパニックになって、こちらが思う方向とは逆の行動をとり、ますます私を苛立たせます。でも、そんな義母の姿が憐れに映り、沸騰していた頭の中は一瞬にして冷めてしまいます。
そして心にうかぶのは"that you are"の言葉です。「ああ、お母さんごめんなさい。」と涙があふれ愛おしくて義母を抱きしめます。
"what you are"ではなく"who you are"ですらなく"that you are" あなたが今ここにいることが大事なことなのだと・・・
この世に生を受け、生きてきた人をないがしろにする権利は誰にもないはず。
"that you are" の言葉は私の気持ちを優しくしてくれます。
そして、この憩いの場に来て癒されています。これからもここで休息させてくださいね。

投稿: ヨーコ | 2007/01/11 09:50

イワンさん、カウンセラー失格でした。
大喧嘩してしまいました。
まあ、こっちがカウンセリング受けたいくらいですからね。いいか。
でも、今日は自分のところに、思わず悲しい思いを綴ってしまいました。

心が済んでくる思いがするので、毎日楽譜(スコア)を持ち歩いています。今読んでいるのはモーツァルトの17歳のときのミサ曲です。近々ブログにつづりますね。

投稿: ken | 2007/01/11 15:24

ヨーコさん、

http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/movies.html#041107
の文章を読んでくださったのですね。ありがとうございます。

That you areということは、私はなかなか実践できていません。
言い訳ではありませんが、大学というのも、どんどんと
競争文化の影響を受け、what you are, what you do, what you have
などをどんどん強調するようになってきています。

That you areどころかwho you areの文化すら危機なのかもしれません。

その点、ご家庭でヨーコさんなどは、とてもとても
人間的に深いことをなさってらっしゃるんですね。

どうぞまた適当に書き込んでやってくださいね。

ありがとうございました。

投稿: イワン | 2007/01/11 18:49

kenさん、
人間って喧嘩しちゃうんですよね。
でも喧嘩もできずに感情を抑圧させても
いいことはありませんしね。

モーツァルトのミサ曲の話、楽しみに
しています。
彼の若い頃の作品は本当にすばらしいですからね。

それでは!

投稿: イワン | 2007/01/11 18:59

競争ですか・・・厳しい現実ですね。
でも、イワンさんのように真摯で誠実な姿勢で仕事に取り組む人が、またその仕事が評価されないはずはないと思います。
「医療と教育」のブログにもあったように、誠意を持って全力を尽くす人こそ感謝され、人の役に立っている人といえると思います。
あいかわらずお忙しい毎日のようですが、心と体の健康にはお気をつけくださいね。

投稿: ヨーコ | 2007/01/13 17:39

TBありがとうございました。聞くことは、ほんとにむつかしい。聞かせてもらうだけで、相手の心が満たされていくような、そんな聴き方のできる人間になりたいと、しんから思います。

音楽にたいしても、バイアスをかけずに真っ白に向き合っていけたらいいなぁ。

広響、楽しませていただきました。ほんとうにありがとうございました。

投稿: phoebe | 2007/03/26 14:06

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» 「聞く、聴く」こと「寄り添う」こと [Blue lagoon]
ある人との会話の中で「聞く」ということが話題にのぼりました。いま、総じて「聞く」ということが足りないのではないか、ということを痛感しているとのこと。そういえば「話し方教室」はあっても「聞き方教室」はありませんねぇ、って言ったら「みんなでしーんと耳をすましてたら、教室がなりたたないですね(笑」なんて冗談まじりに話したことでした。 専門的なことを勉強してきたわけではないので、これまでの自分の狭い体験だけからの類推になりますが、「聞く」というのは、ほんとに難しいことで、話す以上に大変だと感じることが... [続きを読む]

受信: 2007/03/26 14:03

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