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2007年1月

KEITH JARRETT AT THE BLUE NOTE I-VI

損と得があれば得を選び、
無私と売名があれば売名を選んで、
ここまでこうしてやってきた。

得と売名による自己利益最大化。
私はこの判断基準を信じて疑わなかった。


でもまあ、しかし。

歳もとれば、そのように導かれる
人生の醜さも肌身に感じられる。

いい歳して得と売名だけで生きたくない。
(そもそも得と売名はそんなにいいものではない)。

かといって全てを投げ捨てて、
損と無私だけに生きるほどの覚悟もない。

せめて損と得、無私と売名の
計量から解放されて生きたい。


代わる指針は、心が澄むか。

澄むか濁るか。


損か得かはわからない。
無私なのか売名なのかもわからない。


しかし、今、心は澄んでいるか、濁っているか。

ここでYesを言うことにより、心は澄むか、濁るか。


外的計量でなく、内的感覚で人生を定めてゆきたい。

などと、愚にもつかぬことを、キース・ジャレット・トリオ
の演奏を聞きながら考えていました。

こんな即興とインタープレイは
心が澄んでいなければできない。
「熱く」なることもなく、
「クール」を気取ることもなく、
澄んだ心で平静に演奏されるこの音楽を
私の身体に沁み込ませておきたい。


ECM 1575-80

追伸、
IVの5曲目、I fall in love too easily/The fire within
の演奏なんて、私は本当に好きです。Changelessみたいな
原始宗教的表現(?)には独特の魅力があります。
キースのピアノもジャックのタイコとシンバルもいい!

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The Jimi Hendrix Experience/BBC Sessions

私にとって、本当に音楽はありがたいものです。
音楽抜きの人生は本当に考えられません。

しばらくFartein Valenなどの音楽で、
自分の気持ちというか気分に共感して
助けてもらっていましたが、共感して
もらって私も少しは元気になってきた
のか、今日はパワーが欲しくなって
きました(年始から、風邪、出張、
疲れからの体調不良と、どうも
調子がよくありません)。

棚から選んだのはジミ・ヘンドリクス
です。

いつもながらの根拠なき推測ですが、
彼は内面はとても繊細な人だったのでは
ないかと思います。

それをエレキギターとアンプという道具を
手に入れて、音楽史上なかったほどの
強大な表現方法を手にした。

細やかな心情と大音響の表現という、
一種の矛盾が彼の音楽の魅力である
ような気がします。

いずれにせよ、ブルーズという音楽表現
を、あれだけに発展させたのは本当に
すごい。

サンタナは確かジミ・ヘンを聞いて、
「いきなり火星人が降りてきてブルーズを
演奏したのかと思った」と発言したと
記憶していますが、確かに彼の音楽は
それまでの伝統からすれば破格にすばらしい
ものだったと思います。

というか、私は彼の音楽は好きです。

といっても彼の音楽の良さがわかったのは、
40を過ぎてブルーズの良さがわかった後
だったのですが。

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Fartein Valen/Symphonic Poems & Orchestral Songs

音楽に助けられるということは、やはり
あるわけで、現在の私の場合、Fartein Valen
(ファッテイン・ヴァーレン)に助けられています。

今日はSymphonic Poems & Orchestral Songsを
聞きましたが、音が出てきた瞬間、
「あっ、この人なら私をわかってくれる」
と救われたような気持ちになりました。

私は音楽の勉強を全くしたことがないので、
いつも直観で聞いているだけです。
楽譜が読めたらいろいろと深く音楽を理解する
ことができるのだろうなといつも思っています。

それでもkenさんが教えてくれた
http://www.mic.no/mic.nsf/doc/art2002100719175353849851
を読むと、彼の音楽についてもそれなりのことがわかってきます。

ファッテイン・ヴァーレンは、バッハの対位法を深く学び、
不協和音によるポリフォニーを目指したそうです。
He delved deeply into the counterpoint technique
of Bach, with the aim of developing a corresponding
polyphony based on dissonance rather than
harmonic progression.

彼はシェーンベルクの十二音の影響も受けていますが、
決して飲み込まれることなくなく、彼独自のスタイル
を作り上げたとあります。
Valen also studied Schoenberg's twelve-tonal
serial technique introduced in 1923, but
though his atonal polyphony bears some
similarity to Schoenberg's, it appears
as though he developed this style quite independently.

なるほど、無調・不協和音による対位法ですか。
これなら私は好きなはずだ。

彼の私生活を上の解説は短く下のように
記述しますが、これはわかるような気がします。
Fartein Valen never married, was a devoted
Christian, Spoke 9 languages, and cultivated roses.

SIMAX PSC 3115

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Victor Bendix/Symphony no. 3 (1895)

私は育ちが貧しかったので、どうしても
現状否認的なスタイルを、革新とか創造と
称して共感しがちです。

反発心や野心をむき出しにして現状を否定
しようとしてきました。

音楽にしても、そのように「革新的」で
「創造的」、あるいは言い方によっては
「現状破壊的」な表現を好んできました。
(もっともバッハやブルックナーといった
超越的な音楽にはひれ伏していましたが)。


でもさすがに中年となると少しは考え方
や感性も変わってきます。
年を取るというのもいいものです。


穏やかで良き伝統を毛嫌いしなくてもよいのではないか。


そんなことを思っていた時に、この曲の演奏に
出会いました。(2007年1月25日 広島交響楽団
第265回定期演奏会 日本初演)。

指揮の秋山和慶さんもこの日は気負わず丁寧に
指揮をしていました。

コンサートマスターの田野倉雅秋さんも、演奏後に
思わず小さくガッツポーズをしたぐらいの快演でした。

しみじみと19世紀デンマーク音楽の良さを味わいました。

ベンディクスは、ゲーゼ(1817-1890)を師とする
作曲家ですが、このゲーゼも品の良い曲を書く人です。
(ゲーゼの師匠はメンデルスゾーンです)。

ハイドン-ベートーベン-ブラームス-ブルックナー
の構造的伝統とは異なる、穏やかで茫洋とした良き伝統を
このメンデルスゾーン-ゲーゼ-ベンディクスに見る
思いです。(カール・ニルセンがベンディクスに
続くのですが、ニルセンはやはり20世紀の表現者
であるような気がします。)

19世紀のロマン主義的作品は苦手とする私ですが、
この控えめな北欧のロマンティシズムはしっくりと
きました。

ブラームス的な構造的重厚さや、チャイコフスキー
的な気分の変動ばかりが19世紀ロマン主義表現では
ないのですね。

プログラム解説によりますと、ベンディクスの信条は
「音楽の最大の目的は、しばしの間、人々に自分たち
の野蛮さと恥ずべき日々の生活を忘れさせること」
だったそうです。


こういう心持ちもあるのです。

Victor Bendix/Complete Symphonies
DACOCD436-7

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Fartein Valen/The Complete Symphonies

乱雑な私の部屋を見た人は
私が神経質だとは決して思わない。
私もそうとは思わない。

少なくとも私の神経は外へはあまり向かない。

ユング心理学でいうところの「外向的性格」
ではないのだろう。生まれてこの方身につけた
社交性・外交性(外向性にあらず)はあるにせよ。

私の関心は、主に私の心の内に向ってしまう。
「内向的性格」だ。
だから下手の横好きで、哲学・形而上学や
音楽が好きだ。

ひょっとしたら内向的な意味で私は神経質
なのかもしれない。少なくとも世間との
比較でいえば。

というか、私はFartein Valenの音楽に共感
したりする。

彼の音楽は、一時期の武満徹に似ていないことも
ないが、それよりも振幅がなく、延々と独白的な
気分の表現のような音楽が連なってゆく。
延々とといってもいいくらいに。

ただ、しつこさやくどさは感じられない。
(パルジファルとはここが異なる)
これが面白いところだ。


暗い音楽ではないが、華やかさや劇的性格とは
無縁だ。

まあ、世間受けしない音楽ということです(笑)。


SIMAX PSC 3101

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「医療と教育」のご紹介

「医療と教育」というすばらしい文章を見つけましたのでお知らせします。
http://rintaro.way-nifty.com/tsurezure/2007/01/post_fc8c.html
このブログは私がいつも愛読しているもので、著者の方とはブログ・メールを通じてのみのお付き合いですが、いつもお人柄を敬愛し拝読しております。

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Charlie Haden & Pat Metheny/Beyond The Missouri Sky

意味の自問など思いもよらず

愛聴していたのは

晩夏のことだった


あの部屋の

木床の坐感

薄暮の冷香

平穏の無垢

すべては消えて

この音楽は残り

私は


http://www.amazon.co.jp/Beyond-Missouri-Sky-Short-Stories/dp/B0000047EC/

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METHENY MEHLDAU

二人のタッチと音色がいいです。

特にパットのエレキギター。
指(それともピック?)がどのくらいの力・勢い・速さ・長さで
弦をはじくか、そしてその結果、どんな音が
でるかということに神経が行き届いています。

もちろんブラッドもそれに沿うように、
細やかに(そして知的に)ピアノを奏でます。

静かで心地よい音楽の会話です。

このような繊細で、かといって神経質でもない、
温かい仕草で私も友人と会話したい。
(このような会話ができる友人を実際持ちえている
ことに私は心から感謝しています)。

鉦や太鼓や銅鑼を鳴らすように話をする人とは
正直、会話をしたくない。

自分は結構、無神経な方ですし、下品な
笑い方もする人間ですが、それでも
ニュアンスのわからない人との話はビジネス
だけにとどめておきたいです。

http://www.amazon.co.jp/Metheny-Mehldau-Pat/dp/B000GQLAZW/sr=8-1/

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気配を察する

昨年末からできるだけテレビを見ないで音楽を聞くようにしているのですが、それでも時々、疲れてどうしようもない時は自動録画したビデオを見ます。昨晩はそうして『たかじんのそこまで言って委員会』を見ましたら精神科医の小田晋さんが出ていました。彼については、私はこれまでその発言を警戒していたのですが、ひさしぶりに見た彼は、年老いてしまい、半ば呆けかかって壊れており、そこが言いようのないおかしみを出して、私は何度か声を出して笑ってしまいました。

圧巻は田嶋陽子さん(女性論)による小田晋さんの「カウンセリング」でした。カウンセリングの重要性を常に説く田嶋さんが精神科医である小田さんを逆にカウンセリングするというものでした。

その「カウンセリング」では、田嶋さんが日頃の態度とはうって変わって、「聞き手」になります。「うんうん」とうなづき、「あー、そうなの」と声をかけます。時には「前向き」な助言さえします。一見すると、田嶋さんがよいカウンセラーに見えないこともないのですが、小田さんは最後近くになって、田嶋さんの態度は、落ち込んでいる患者をいっそう追い込むものであることを指摘します。言葉少なく、先ほども言いましたように年老い呆けて壊れかけていた小田さんでしたが、その対話の様子を見たたかじんは、「これで小田さんが名医やということがようわかった」と言っていました。小田さんのかもしだす、言葉少ない間が非常によかったというわけです。私もこれには同感でした。

私は大学時代の一時期にユング心理学に傾倒し、一時期は転学科さえも考えていたこともあって、カウンセリングを重要なことだと考え、学生さんとの面談を重視しています。その際に自分で徹底しているつもりなのは、こちらから話題を振ったり誘ったりしても、学生さんが少しでもしゃべろうとしたら、決してそれをさえぎらず、そのうごめきが言葉になるのを待つということです。ですから私の第一の仕事は学生さんの気配を察することだと思っています。

もちろん気配を察することができず、私が誘いの話題を続けたりすることもあります。その時は私の心が頑なだったり身体が疲れていたりして学生さんの気配を察することができないか、学生さんが何らかの理由で頑なになり、自らの気配を抑圧しているかなのでしょう。そんな時は、いたずらに私がしゃべってしまい、学生さんもそれに無難な応答をするだけで時間が終わってしまいます。しかし、私が気配を感じ、学生さんも私が学生さんの気配を共感的に察知していることがわかった場合、話は短時間でも非常に深い話になることもあります。学生さんが他の人にはなかなか話せないようなことを語り始めますし、私も他の人にはなかなか打ち明けない微妙なことを語ったりします(本職のカウンセラーなら自らのことは語らないでしょうが、私はカウンセラーではなく教師ですし、経験から、自己開示による類似経験の共有が有効であることを学んでいるつもりです。まあでも生兵法ですから注意をせねば)。

こうして自らの言葉を控えめにして、相手の気配を察知することを重視することは、私は日常生活でもやったりしています。少なくともできるだけ相手の言葉はさえぎりませんし、さえぎらなくてはいけないときは軽く謝ります。とはいえ、ひょっとしたら私は自分が思う以上に人の言葉をさえぎっているのかもしれませんが、私が自覚的に人の言葉をさえぎるときは、私が怒っている時か冗談を言い始めているときぐらいだと自分では思っています。(今思ったのですが、そうして人と会っている時にはできるだけ聞こうとしているからこそ、私は独りでいるときにはこのように雑文を書きたがるのでしょう)。


「全身を耳にして」というわけではありませんが、気配を知ろうとするとき、私たちは全身をセンサーにして使っているようにも思います。肩の力を抜いて、耳はわずかなニュアンスを聴き取ろうとし、目はちょっとした表情の変化も察知しようとします。姿勢は相手の姿勢との関係などで微妙に変わったりします。ひょっとしたら肌も「空気」の変動を感じ取ろうとしているのかもしれません。

もちろんこのように全身を澄み切らせて気配を察することは私もめったにできないのですが、それでも気配というものは大切にしようとしています。

この気配を大切にすることは音楽からも学んだような気がします。

しばしばよい演奏とそうでない演奏を分けるのは、気配、あるいはニュアンスだけしかないように思えます。私たちはわずかな差異を聞き分け、音楽に感動したり、どこか共感できずにおいてゆかれたりします。よい演奏を聞くとき、私たちは全身で聴きませんでしょうか。そしておそらく演奏者も、全身で聞き手を感じながら、全身で音楽を微妙に奏でませんでしょうか。

自分の思い通りのものを聞こうという欲望を捨て、音のうごめき、微細な響き、間の静寂をただ受け入れて感じること。演奏家の気配を感じ、演奏家が音で表現していることを通じて、演奏家が音で表現できないことを理解すること----これが、私が優れた音楽を聞くことによって学んだ文化の一つであるように思っています。

言葉の会話でも、優れた音楽を聞くように、全身で気配を感じてゆけば、お互いに深く充実した話ができるのではないでしょうか。

その点、田嶋陽子さんの聞き方は、一見、カウンセラーのように見えて、実は、相手の気配を圧し、自らが信じる「正しいこと」を押し付けてしまうものだったのかもしれません。

と、偉そうに論ずる私ですが、私も実際は田嶋陽子さんのような聞き方しかできてないのかもしれません。

怖い。これは怖い。

もっといい音楽に耳を傾け、身体を委ねたいと思います。

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ひさしぶりのラジオ

チューナーの調子がどうもおかしいので、
最近はCDばかり聞いておりましたが、ひさしぶりに
ラジオを聞くと、やはりラジオもいいですね。

自分ではお金を出してまでは買わないかも
しれないけれど、良質の音楽・演奏に出会えると
豊かな気分になれます。

シリアスなだけが音楽のよさではありませんしね。
沖縄だから、ちょっとリラックスした選曲だったのか
というのは下衆の勘繰りでしょうか。
(でもストラヴィンスキーが中間部のよいスパイスに
なったいい選曲だったと思います)。


- 沖縄県南城市公開録音 -

「“ブラジル民謡組曲”から“シャンゴへの祈り”“トアーダ”
                “ショールス”」ニャタリ作曲
                      (11分40秒)
                    (ギター)尾尻 雅弘
                    (ピアノ)浦壁 信二

「カルメン幻想曲 作品25」 サラサーテ作曲、尾尻雅弘・編曲
                      (14分40秒)
                  (バイオリン)小林 美恵
                    (ギター)尾尻 雅弘

「第一狂詩曲」               ドビュッシー作曲
                       (7分45秒)
「リベルタンゴ」   ピアソラ作曲、帝  鵬/三上 徹・編曲
                       (3分30秒)
「エスクァーロ」   ピアソラ作曲、帝  鵬/三上 徹・編曲
                       (3分30秒)
                 (クラリネット)赤坂 達三
                    (ピアノ)浦壁 信二

「“ブラジル民謡曲集”から“パソカ”“ペ・デ・モレーキ”」
                    セルソ・マシャド作曲
                       (6分30秒)
                 (クラリネット)赤坂 達三
                    (ギター)尾尻 雅弘

「協奏二重奏曲」           ストラヴィンスキー作曲
                      (16分10秒)
                  (バイオリン)小林 美恵
                    (ピアノ)浦壁 信二

「ピアノ、バイオリンとクラリネットのための組曲
                  作品157b」ミヨー作曲
                      (13分00秒)
                 (クラリネット)赤坂 達三
                  (バイオリン)小林 美恵
                    (ピアノ)浦壁 信二

「水の戯れ」                  ラヴェル作曲
                       (5分40秒)
                    (ピアノ)浦壁 信二

「涙そうそう」                  ビギン作曲
                       (2分20秒)
                 (クラリネット)赤坂 達三
                    (ピアノ)浦壁 信二

「愛のあいさつ」        エルガー作曲、尾尻雅弘・編曲
                       (2分20秒)
                  (バイオリン)小林 美恵
                    (ギター)尾尻 雅弘

「フーガと神秘」        ピアソラ作曲、尾尻雅弘・編曲
                       (3分40秒)
                  (バイオリン)小林 美恵
                 (クラリネット)赤坂 達三
                    (ギター)尾尻 雅弘
                    (ピアノ)浦壁 信二

  ~沖縄県・南城市文化センター シュガーホールで収録~

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